東京地方裁判所 昭和63年(ワ)4474号 判決 1994年4月28日
原告
穂積正司
右訴訟代理人弁護士
笹原桂輔
同
笹原信輔
被告
在家日蓮宗浄風会
右代表者代表役員
永二郎
被告
永二郎
同
松山吉幸
同
浜井達男
同
沢田実
同
上田好次郎
同
田野司
被告ら訴訟代理人弁護士
清水淳雄
被告ら復代理人弁護士
中崎敏雄
主文
一 本件各訴えをいずれも却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
一 原告と被告在家日蓮宗浄風会との間において、原告が被告在家日蓮宗浄風会の教務及び信者の地位にあることを確認する。
二 被告永二郎は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告松山吉幸、同浜井達男、同沢田実は、原告に対し、連帯して金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告沢田実は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 被告上田好次郎は、原告に対し、金八〇〇万円およびこれに対する昭和六三年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
六 被告上田好次郎および同田野司は原告に対し、連帯して金二〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
七 被告永二郎は、在家日蓮宗浄風会発行の浄風会報に別紙記載の要領による謝罪広告を一回掲載せよ。
第二 事案の概要
被告永から在家日蓮宗浄風会(浄風会、宗教法人としての浄風会を被告浄風会ともいう)の教務の地位を免職され、信者退会の処分を受けた原告が、教務及び信者の地位の確認を求め、更に、教務免職及び信者退会処分を公表されたこと、礼拝を妨害されたことを理由とする不法行為に基づく損害賠償等を請求した事案である。
一 前提となる事実(争いがないか、掲記の証拠により認められる)
1 当事者
被告浄風会は、宗祖日蓮聖人立教開宗の本義に基づき法華経を所依の教典として法華経の教義を広め、儀式行事を行い、信者を教化育成し、支部を包括し、その他この教団の目的を達するための事務及び事業を行うことを目的とする宗教法人である。
原告は、昭和三五年に浄風会の信者となり、同四七年四月二八日には浄風会の教務に任命された者である。
被告永は、前代表役員・前導師である鈴木基靖(鈴木前会長、被告浄風会では、代表役員を会長と称している)により法燈相続人(法嗣)として選定されていた者で、鈴木前会長の死亡後、被告浄風会の代表役員、教団としての浄風会の導師に就任した者である。
被告松山、同沢田、同上田、同田野はいずれも浄風会の信者である。
2 本件教務免職・信者退会処分に至る経緯
被告永は、昭和六二年九月六日、原告を浄風会教務から免職し(本件教務免職処分)、さらに同年一〇月三日、同会の教憲五五条に基づき原告を破門し、浄風会から除名した(本件信者退会処分)が、その経緯は次のとおりである。
(一) 被告浄風会においては、昭和五三年ころから、源関前理事長が中心となって本部道場の敷地を売却し新しい本部道場を建設する計画を検討していたが、原告、片山猛教務及び宮内真教務(宮内)らが強く反対し、計画は実現していなかった(本部道場移転問題)(甲九九、原告本人)。
(二) 原告は、昭和六〇年六月五日、「浄風会を良くするつどい」を結成し、その代表として、浄風会の最高幹部の一人斉藤又三郎が昭和五九年四月ころから毎月一〇万ずつ合計一四〇万円の報酬を受け取っていたことにつき、理事会の承認がない、理事教務等の役員は本来無報酬であると非難し、一四〇万円の回収を求めた(報酬受領問題)(甲一九)。
(三) 被告永は、昭和六二年八月二日の教務会において、宮内が論文で鈴木前会長の教義解釈を批判した行為は、師敵対、同破に当たるとして、宮内に対し、論文の撤回と懺悔をするように折伏した。折伏の場で、宮内が鈴木前会長と面会したい旨懇請したため、三日後に鈴木前会長と面会することが許された。原告は、折伏終了後、宮内に対し「立派だった」と声をかけた。
鈴木前会長と宮内との面会は、同月五日、鈴木前会長が入院していた江戸川病院の病室において行われた。宮内は、鈴木前会長に対し、「お懺悔します」と述べたが、鈴木前会長は、同日、宮内の行為は師敵対、同破に当たるとして同人を破門、信者退会処分に付した。
鈴木前会長は、宮内との面接の翌日である同月六日死亡した。
(四) 被告永は、原告が(三)の折伏終了後宮内に対し立派だったと声をかけた真意を問いただすため、昭和六二年八月二五日、原告を呼び出したうえ、宮内の破門をどう思うかと質問したところ、原告は、「大変残念である」旨回答した。
(五) 被告永は、昭和六二年九月六日、原告には教務にあるまじき言動があり、反省の心が見られなかったとして、懺悔を命じるとともに、本件教務免職処分を行った。(甲二四)。
(六) 原告は、(五)の本件教務免職処分終了後、次の行為を行った。
(1) 「浄風会を良くするつどい」代表として、前理事長らが報酬の回収を約束したため報酬受領問題を非難する内容の昭和六〇年六月五日付け文書(甲一九)の配布を控えていたが、報酬の返還が実行されていない、これは信者に対する裏切り行為でありペテンである等と非難する内容の昭和六二年九月二四日付け文書(甲二〇)を、甲一九とともに配布した。
(2) 更に、「浄風会を良くするつどい」代表として、宮内が「お懺悔します」と大きな声で述べているのにもかかわらず、被告永らは鈴木前会長に何ら口添えせず、宮内を救おうとしなかったと非難する内容の昭和六二年九月二八日付けの文書(甲二一)を、鈴木前会長と宮内との面会の様子を録音したテープの反訳文(甲二二)とともに信者に配布した。
(3) 昭和六二年九月三〇日、内容証明郵便で本件教務免職処分は無効であり撤回するよう忠告する旨の申入書を弁護士を通じて送付した(甲二八、二九)。
(七) 被告永は、昭和六二年一〇月三日、原告は懺悔を命じられていたにもかかわらず、反省せず、(六)の行為を行ったことは、信者にあるまじき師敵対、同破行為であるとして本件信者退会処分を行った(甲二四)。
3 被告上田らの不法行為として主張されている行為
(一) 被告上田は、昭和六二年九月七日、浄風会信者方で行われた納棺及び仮通夜の式場において、参詣者に対し、本件教務免職処分を公表した(甲九九、原告本人)。
(二) 被告沢田、同松山及び同浜井は、昭和六二年一〇月一一日、浄風会本部道場において行われた日蓮上人の会式及び納骨堂に原告が参詣しようとした際、これを拒否して参詣させなかった。
(三) 被告田野及び上田は、昭和六二年一〇月三一日、浄風会の本部道場において、西教区役中会に集まった信者に対し、原告が本件信者退会処分を受けたことを発表した。
(四) 被告沢田は、昭和六三年三月四日、台東区浅草橋の原告のおじである木島豊太郎方において、お参りに集まった多数の信者に対し、原告が本件信者退会処分を受けたことを発表した。
(五) 被告上田は、昭和六三年三月八日、新宿区若葉の丸山正吉方において、参詣者に対し、本件信者退会処分が記載されている会報を示して、本件信者退会処分を発表した(甲九九、原告本人)。
二 本案前の争点及び当事者の主張
(以下、宗教法人「在家日蓮宗浄風会」規則を「規則」、本部機構並びに職務規定を「規定」、教務会運営細則本部を「細則本部」という)
1 本件教務免職処分について
(被告らの主張)
(一) 教務は信者の教導等の宗教活動を行う宗教上の地位であるから、裁判所の司法審査の対象とはならない。
(二) 原告が復帰を求める本部教務の制度は、平成二年一月一日以降は機構改革により廃止されて存在しないから、その地位の確認を求めることはできない。
(三) 本件教務免職処分は、鈴木前会長の死亡により直ちに導師の地位に就いた被告永が、原告の行為が謗法(法義を勝手に解釈したり玩んではならないという宗教上の教えに反すること)、師敵対(師弟の秩序を乱してはならないという宗教上の教えに反すること)、同破(信者間の和を乱してはならないという宗教上の教えに反すること)に当たることを理由に行ったものであり、宗教上の理由に基づく処分であるから司法審査の対象とはならない。処分の根拠としては規則三七条を考えているが、同規定が根拠とならないのであれば、宗教団体としての自律権及び教憲に基づく導師の裁量権を根拠とする。
(原告の主張)
(一) 教務は、信者組織に関する原則的事項等の重要案件に関する審議機関である教務会(規定一九条、本部一及び三)の構成員であり、責任役員となるためには教務の資格を有することが必要であるから、教務の地位は法律上の地位というべきである。
(二) 本部教務を廃した機構改革は、教務会の審議を経ていない等の瑕疵があり、無効である。
(三) 本件教務免職処分当時、被告永は未だ法燈相続式を挙行しておらず導師に就任していなかったから、右処分は、導師の権限に属する教憲五五条に基づく宗教上の処分として行われたものではなく、代表役員の非宗教上の懲戒権限を定めた規則三七条に基づいて行われたものであって、司法審査が可能である。仮に教憲五五条に基づく処分であるとすれば、右のように被告永には処分権限がなく、そのことは宗教上の協議、信仰の内容に立ち入らずに判断できるから、やはり司法審査の対象になる。
2 本件信者退会処分
(被告らの主張)
(一) 浄風会の信者の地位は、宗教上の事実関係に過ぎず、確認訴訟の対象とはならない。
(二) 本件信者退会処分は、鈴木前会長の死亡により直ちに導師の地位に就いた被告永により、原告の行為が謗法、師敵対、同破という宗教上の非違行為に当たることを理由に行われたものであるから、右処分は司法審査の対象とならない。
(原告の主張)
(一) 浄風会の信者の地位は、法律上の地位である。
(二) 本件信者退会処分当時、被告永は未だ法燈相続式を挙行しておらず導師に就任していなかったから、右処分は、導師の権限に属する教憲五五条に基づく宗教上の処分として行われたものではなく、代表役員の非宗教上の懲戒権限を定めた規則三七条に基づいて行われたものであって、司法審査が可能である。仮に教憲五五条に基づく処分であるとすれば、右のように被告永には処分権限がなく、そのことは宗教上の教義、信仰の内容に立ち入らずに判断できるから、やはり司法審査の対象になる。
3 不法行為について
(被告らの主張)
原告の損害賠償請求は、本件教務免職処分及び本件信者退会処分が無効であることを前提とする主張であるところ、本件教務免職処分及び本件信者退会処分は、宗教上の処分であり、司法審査の対象とならないから、損害賠償請求権の有無も判断できない。
(原告の主張)
教務及び信者の地位が法律上の地位であるか否かと損害賠償請求の可否は関係がない。不法行為による損害賠償を請求する場合、厳密な意味での権利侵害行為は必要ではなく、違法性の要件を充足すればよい。本件教務免職処分及び本件信者退会処分は手続に違背し、理由もなく行われた違法なものであり、被告らの行為も刑法二三〇条の名誉毀損あるいは刑法一八八条二項の礼拝妨害に該当する違法な行為であって、司法判断は可能である。
三 本案の争点及び当事者の主張
1 本件教務免職処分について
(原告の主張)
(一) 被告永は、本件教務免職処分当時導師ではなく、原告を処分する権限がなかったから、本件処分は無効である。
(二) 本件教務免職処分を行った真の動機は、原告が報酬受領問題や本部道場移転問題において、原告が浄風会の為を思って行動したことが、被告らにうとましく、原告の存在が非常に邪魔であったから、これを排除しようとしたものである。原告が宮内の行為は立派でその破門は残念であると述べたことは、教務を免職すべき理由とはならない。
(三) 本件教務免職処分は、原告に対し告知・聴問の機会を与えず、規定一九条、細則本部五の定める教務会の審査も経ず、また処分に際して理由も示さずに行われたもので、手続に瑕疵があり、無効である。
(被告らの主張)
(一) 被告永は、鈴木前会長の死亡により直ちに導師の地位に就いており、本件教務免職処分をする権限を有していた。
(二) 被告永が原告を教務から免職した理由は次のとおりである。
教団としての浄風会において、導師は宗教的には絶対者であり、他の何人も之を犯すことは許されない。原告は、昭和六二年八月二日、師敵対、同破の重罪を犯した宮内の折伏の席において、同人に向け「立派だった」等と同人を賛嘆激励するかのような発言をし、同月二五日、被告永から所信を問われた際には、被告永に対し、「疑われているのであれば、質問には答えられない」等と述べ、再三回答を拒否し、質問によっては被告永に詰め寄り大声を発する等、信者の指導を導師会長から預かる教務としてあるまじき言動、態度をとり続けた。
浄風会としては、かかる人物は速やかに教務職を解き、一般信者をその影響から守る必要があった。
(三) 被告永は、昭和六二年八月二五日、原告を査問し、原告に対し告知・聴問の機会を与え、本件教務免職処分を告知する際も理由を告げており、手続きは適正に履践された。教務会は単なる諮問機関であり、原告が主張するようにその決議を要するものではない。仮に教務会の決議を要するとしても、被告永は、本件教務免職処分の直後、これを教務会に報告し承認を得ている。
(四) 浄風会においては、信者でない者は謗法者とされており、信者以外の者から教務が選ばれることはあり得ない。原告は、本件信者退会処分により信者ではなくなっているから、本件信者退会処分が有効である限りは教務の地位を回復することはあり得ない。
2 本件信者退会処分について
(原告の主張)
(一) 被告永は、本件信者退会処分当時は被告浄風会の導師の地位に就いておらず、本件信者退会処分を行う権限を有していなかった。
(二) 本件信者退会処分を行った真の動機は、本件教務免職処分の場合と同様に、報酬受領問題や本部道場移転問題における原告の存在が非常に邪魔であったから、これを排除しようとしたものである。しかも、被告らが主張する本件信者退会処分の理由は次のとおり、根拠がない。
(1) 原告が内容証明郵便で本件教務免職処分の撤回を申し入れた行為は、違法な本件教務免職処分に対し異議を述べたもので正当な行為である。
(2) 最高幹部に対し一四〇万円の報酬支払いがあったことを批判する旨の文書(甲一九、二〇)の内容は真実であり、正当な主張である。
(3) 原告は、昭和六二年九月二八日付けの文書(甲二一)において、鈴木前会長に真意に反する破門をさせた被告永らを非難しているだけであり、鈴木前会長を非難していない。被告らが鈴木前会長との面会の様子をテープに隠しどりしたことを殊更非難するのは、宮内が懺悔しているにもかかわらず、被告らがこれを無視し臨終間近で既に意思能力を失っていた鈴木前会長に真意に反する破門をさせたことが明らかになったためである。
(被告らの主張)
(一) 被告永は、鈴木前会長の死亡により直ちに導師の地位に就いており、本件信者退会処分をする権限を有していた。
(二) 被告永が、本件信者退会処分をした理由は、原告が本件教務免職処分の際懺悔を命じられていたにもかかわらず、なんら反省せず、以下のような行為をしたことである。
(1) 最高幹部が理事会にも諮らず一四〇万円を不正に支出したという内容虚偽の文書(甲二〇)を配布したことは、浄風会及び被告永ら浄風会幹部への不信感を抱かせる同破行為である。
(2) 鈴木前会長が宮内を破門した際のやりとりを隠し取りした録音テープの反訳文(甲二二)とともに、宮内を破門したのが被告永であるかのような虚偽を記載し、鈴木前会長の専権に属する退会処分に異を唱え、非難し、被告永らが鈴木前会長の意を体したことについてもこれを非難する内容の文書(甲二一)を、多数の信者に配布したが、これは同破行為に当たる。
(3) 被告永に対する申入書(甲二八)の中で鈴木前会長の遺言を創作捏造し、被告永に対し、研鑽を怠り等と非難し、許しがたい師敵対の行為をした。
3 不法行為について
(原告の主張)
被告永による本件教務免職処分及び本件信者退会処分は違法であり、これにより原告の被った精神的損害を評価すると五〇〇〇万円は下らない。
また、本件教務免職処分及び本件信者退会処分が無効であるにもかかわらず、第二の一3(一)ないし(五)の各行為が行われた。これらの行為により被った原告の精神的損害を評価すると、(一)及び(五)については、合計八〇〇万円、(二)については三〇〇〇万円、(三)については二〇〇万円、(四)については二〇〇万円を下らない。
(被告らの主張)
本件教務免職処分及び信者退会処分は無効ではないから、被告らの各行為も違法性がない。
第三 当裁判所の判断
一 本件教務免職処分について
1 本案前の争点
原告は本件教務免職処分の効力を争い、宗教法人である被告浄風会に対し教務の地位にあることの確認を求めているが、右請求が裁判所の司法審査の対象となるためには、教務の地位が、単に宗教団体としての浄風会における宗教上の地位にとどまるものではなく、被告浄風会における法律上の地位といえるものでなければならない。単なる宗教上の地位の存否をめぐる争いは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争といえず、裁判所法三条一項の「法律上の争訟」に当たらないからである(最高裁昭和四四年七月一〇日第一小法廷判決・民集二三巻八号一四二三頁、最高裁昭和五五年一月一一日第三小法廷判決・民集三四巻一号一頁参照)。
2 教務の地位
教務は、所定の教学を修め人格識見ともに信者の信望があることを条件として会長により任命される地位であって(規定一七条)、その主要な役割は、日蓮聖人の指南を研究し、会員に信心を指導し、吉弔の行事を執行することにあり(甲九九)、導師が行うべき宗教的儀式である御尊像、霊塔、霊薄、経帷子、家固め、数珠等の筆写、開眼及び解除や命名、法名の授与を、導師の命により代行することも許されている(教憲五一条、五二条)。また、教務は育成の対象であって(規定三四条一号)、専任教務全員及び特に指名された教務が法義上の指導権を有する教学院の部員となる(同二九条)。これらの点を考慮すると、教務の地位は、基本的に、教義の研鑽・信者の教導を中心的な任務とする宗教上の地位であると認められる。
もっとも、本部教務はその全員で教務会を構成し、教務会は、概ね、信者組織に関する原則的事項、教務の任免に関する事項(個々に議決する)、教務補の任免に関する原則的事項、浄風会信行指導方針(永久計画、臨時計画等)に関する事項、地方支部信行特別措置に関する事項、青壮年部育成に関する事項、賞罰、財務、冠婚葬祭等のうち特に教導に関係ある事項等について審議することになっている(規定一九条、細則本部三項)。しかし、教務会は、宗教法人である被告浄風会の法定の機関ではなく、「教務の自修研鑽を行うと共に会の重要事項を審議する」役割を担う機関であって(規定一九条)、付議すべき事項も右のように信者の教導に関係する事項が中心となっている。決議は出席総務の三分の二以上の賛成をもって行うことになっているが、定足数の定めはなく、教務の任免に関しては審議を尽くし満場一致とするを「立前」とすることとされており(細則本部五項)、議決を主要任務とする機関として十全な機能を果たし得るような規定とはなっていない。このように、教務会は、教務の自修研鑽機関であり、教導に関する事項についての諮問機関と解されるのであって、教義の研鑽・信者の教導を中心的な任務とする宗教上の地位という教務の基本的な性格の延長線上にあるものにすぎず、教務がその構成員であるからといって、そのために教務に法人における法律上の地位という性格を付与するものとは解されない。
また、原告は、教務の地位に就くと本部理事に任命される資格を取得すること、教務の地位が信者らから一定の社会的評価を受けていること、教務の職務遂行には経済的利益も伴っていることを根拠として挙げるが、こうした点は、法律上の地位に固有のものではなく、宗教上の地位であっても伴い得るものであるから、教務を法律上の地位であるとみるべき根拠とすることはできない。
3 結論
したがって、教務の地位にあることの確認を求める原告の訴えは、確認の訴えの対象としての適格を欠くものに対する訴えとして不適法である。
二 本件信者退会処分について
1 信者の地位
まず、浄風会の信者の地位が法律上の地位といえるかどうかについて検討する。
浄風会の信者とは、浄風会所定の入会証に署名捺印し、御本尊を授与された護持者及びその入会証に名を連ねた家族縁者で、浄風会教導の趣旨に信順を誓約したる者をいい(教憲五六条)、信者は、法施、身施、財施を分に応じて志し、教団の維持発展に尽力するものとされ(同五九条)、導師より任命された役職に就任し、その職務に精励しなければならない(同六〇条)。また、導師の教導に随わず、教憲にもとる場合は、導師によって信者から除名されることがある(同五五条)。したがって、浄風会の信者は、単に浄風会との間で信仰上の事実的関係を有するに止まる者ではなく、宗教団体としての浄風会の基本的な人的構成要素となっている者であるといわなければならない。そして、宗教法人法上も、宗教法人が財産の処分、規則の変更、合併、解散をしようとするときは、信者に対して公告しなければならず(二三条、二六条、三四条、四四条)、一定の財産の処分については、その公告を欠くときはその処分行為は無効とし(二四条)、解散をする場合には、信者から一定の期間内に意見を申し述べたときは、その意見を十分に考慮して、その解散の手続を進めるかどうか再検討しなければならない(四四条三項)と定めて、信者に一定の法的地位を認めているところ、浄風会の信者が右宗教法人法にいう信者に該当することは明らかである。そうすると、浄風会の信者は、その地位にあることの確認が司法審査の対象となり得る法律上の地位であるといってよく、これを宗教上の事実関係に過ぎないとする被告らの主張は採用できない。
2 退会処分に対する司法審査の可否
(一) 浄風会の信者の地位を法律上の地位と認めるものとしても、原告が信者の地位にあるかどうかを判断するにつき、浄風会の宗教上の教義、信仰の内容に立ち入って審理判断することが必要不可欠である場合には、右訴訟は、法令の適用により終局的な解決を図ることができない訴訟として、やはり「法律上の争訟」に当たらない(最高裁平成元年九月八日第二小法廷判決・民集四三巻八号八八九頁、最高裁平成五年九月七日第三小法廷判決・民集四七巻七号四四六七頁参照)。
(二) 原告が浄風会の信者の地位にあるかどうかの判断は、本件信者退会処分の効力の有無に係るが、右処分については、被告永の処分権限の有無及びの理由の有無が争われており、これらの点を判断するために宗教上の教義、信仰の内容に立ち入って審理判断することが必要不可欠であるかどうかが問題となる。
まず、処分権限の有無をめぐる本案前の争点について検討すると、被告らが、本件信者退会処分は、鈴木前会長の死亡により直ちに導師の地位に就いた被告永により、謗法、師敵対、同破という宗教上の非違行為を理由として行われたものであるから、司法審査の対象とならないと主張するのに対し、原告の主張は、本件処分当時、被告永は未だ法燈相続式を挙行しておらず導師に就任していなかったから、右処分は教憲五五条に基づく宗教上の処分として行われたものではなく代表役員の非宗教上の懲戒権限を定めた規則三七条に基づいて行われたもので、司法審査が可能てあり、仮に教憲五五条に基づく処分であるとすれば、右のように被告永には処分権限がなく、そのことは宗教上の教義、信仰の内容に立ち入らずに判断できるから、やはり司法審査の対象になるというものであって、右争点は、結局、法燈相続式挙行前の被告永の地位をどう考えるかという論点に収斂する。
「導師は法燈を継ぐに当たっては、必ず法燈相続式を挙行」しなければならないこと(教憲四七条)、現に被告永の場合も、法燈相続式前は「法嗣」の称号を用い、他からもそのように呼称されていたこと(甲三〇、四七、被告永)、過去に前導師の死亡後直ちに次の導師が就任せず空白期間のあった事例が存在すること(被告永)などからすると、法燈相続式を挙行することが導師就任の要件であるとの原告主張の見解が生じ得る。他方、導師は終身制であり(同四九条)、法燈相続式は前導師が生前選定し、全信者に衆知されること(同四八条)、浄風会において導師は欠くべからざる存在であること等から、少なくとも教憲制定後は、被告主張のように、法嗣は前導師の死亡により直ちに導師の地位に就くのであって、法燈相続式は法燈を継いだ事実を事後的に仏祖の御宝前に報告するとともに、全信者に衆知させる意義をもつものと解釈する余地も規定上は十分あり得る。そして、そのいずれの見解が正当であるかは、純然たる法解釈によって決定し得るものではなく、宗教的儀式である法燈相続式が法燈相続・導師就任に占める意義如何という、浄風会の教義ないし信仰の内容と密接に関係する宗教的事項についての評価を抜きにして判断することはできないと考えられる。
もっとも、規定一条は「会長は教憲第六章導師の職権を行う」と定めているところ、後任の代表役員(会長)は、導師の場合と同様、前任の代表役員が指名することになっており(規則七条一項)、鈴木前会長の死亡後被告永が浄風会の代表役員に就任した事実は争いがなく、また、代表役員が死亡により欠けた場合において後任者がすみやかに選任できないときは代務者をおかなければならないが(同一一条一号)、鈴木前会長の死亡後代表役員の代務者は選任されていないこと(被告永)、代表役員への就任に法燈相続式の挙行が要件となると解すべき根拠はないこと、鈴木前会長の死亡の数日後被告浄風会において被告永を選任する手続がとられたこと(被告永)からして、被告永、鈴木前会長の指名に基づいて、その死亡後まもなく本件信者退会処分前に浄風会の代表役員に就任したものと認められるから、導師に就任したかどうかにかかわりなく、被告永が代表役員として教憲五五条の処分を行う権限を有していたと解する余地もあるかもしれない。そう解し得るとすれば、宗教上の教義に立ち入ることなく被告永の処分権限の有無を判断できることになるが、その場合には、本案についての原告の主張が失当となる。
(三) 次に、本件退会処分の理由の有無をめぐる争点について検討する。(二)で判示したとおり、被告永が教憲五五条の処分権限を有していたかどうかの判断は裁判上できない(又は右権限を有する)と解されるが、処分の理由に原告の主張する瑕疵があれば、本件退会処分を無効と判断することが可能である。そこで、その処分理由を司法審査の対象とすることができるかが問題となる。
原告の主張は、原告が否定する鈴木前会長をも非難したかどうかという点を別とすると、要するに、本件教務免職処分の撤回を申し入れたのは本件教務免職処分が違法な処分であったからであり、被告永らに対する批判文書の内容は正当なものであって、被告永が行った教務免職処分に服さず、右のような文書を配布したからといって、師敵対、同破には当たらず、信者退会処分の正当な理由とならないというものである。これに対し被告は、浄風会においては、導師は宗教的には絶対的権威者であり、弟子(信者)が導師に誤りがあるとの批判をすることは絶対に許されず、その場合信者の指摘が正しいかどうかは論ずる余地がない旨主張する。
したがって、本件退会処分の理由の有無を確定するにあたっては、被告永が鈴木前会長の死亡により直ちに導師の地位に就いたのか、それとも法燈相続式の挙行前は導師でなかったのかという(二)で述べた論点について判断したうえ、師敵対、同破の意義、とりわけ浄風会において信者が導師を批判することが正当視され得るか否かについて判断することが必要不可欠であると認められる。ところが、被告永が法燈相続式の挙行前から導師であったか否かを確定するためには、法燈相続式の宗教上の意味を明らかにする必要があり、そのためには浄風会の教義や信仰の内容に立ち入ることが避けられないことは、前述のとおりである。また、浄風会の信者が導師を批判することができるか否かについての判断するためには、弟子は教義の解釈を誤った師匠に対しその誤りを指摘し、訂正するように諭すことができる旨の宗祖日蓮の教えがあるか否か、宗祖日蓮の身延山御書の「若し弟子有って師の過ちを見さば、若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、已に其の心有るは身自ら法の勝利を壊り失うものなり」との記載は、弟子が師を批判することは絶対に許されないことを明らかにしたものか否かを判断しなければならず、結局、浄風会における宗教上の教義ないし信仰の内容について一定の評価をすることを避けることはできない。本件教務免職処分の効力も、本件信者退会処分の理由の有無に影響するが、右効力の判断についても同様の問題があることは、後述のとおりである。
(四) 以上のとおり、本件信者退会処分の効力を判断するためには、宗教上の教義ないし信仰の内容について一定の評価をすることを避けることができないから、信者の地位確認の請求は法律上の争訟性に欠け、不適法なものとして却下を免れない。
三 不法行為について
1 被告永に対する請求
(一) 被告永に対する損害賠償請求は、本件教務免職処分及び本件信者退会処分の違法無効を前提とするものであるが、そのうち本件信者退会処分の効力を判断するためには、宗教上の教義ないし信仰の内容について一定の評価をすることを避けることができないことは、二で判示したとおりであるから、右処分を理由とする損害賠償請求は、法律上の争訟性を欠き不適法である。
(二) 本件教務免職処分についても、本件信者退会処分と同様の問題があると認められる。
すなわち、前述のとおり教務の地位は宗教上の地位であり、その任免権は導師に属すると解すべきであるが、被告永が右処分当時導師の地位にあったかどうかを判断するに際して、浄風会の教義や信仰の内容に立ち入ることが避けられないことは、すでに判示したとおりである。
また、処分の理由についても、宮内教務の破門に関する原告の言動、被告永が原告に対し所信を問うた際の原告の言動が、師敵対、同破に当たるとするものであり、師敵対、同破の意義を判断するには、前述のとおり宗教上の教義ないし信仰の内容について一定の評価をすることが必要不可欠である。
なお、原告の主張する手続的瑕疵については、前述のとおり、教務会は教務の自修研鑽機関、教導に関する事項についての諮問機関とみるべきであるから、処分に際してその審査に付すことは効力要件ではないと解されるし、弁明の機会は昭和六二年八月二五日に与えられており、導師による教務免職処分は終局的処分であるから、処分に際し理由を告げなかったとしても直ちに処分の効力を否定すべきものとは解されない。
そうすると、本件教務免職処分の効力を判断するためには、宗教上の教義ないし信仰の内容に立ち入らざるを得ないことになるから、右処分を理由とする損害賠償請求は不適法である。
2 その他の被告らに対する請求
原告は、教務として信者教導の任に当たり、多数の信者を勧誘し、浄風会理事ほかの役職を歴任し、「浄風会を良くするつどい」の代表としても活動しており、浄風会内において重要な地位を占めていた者と認められる(甲六ないし一二、一九ないし二一、五二、原告)。このような原告について教務免職処分や信者退会処分がなされた場合、その処分が有効である限り、教団として信者に対し、その処分の存在や処分理由の周知徹底を図り、接触を持たないよう指示すること、教団の道場への立入りを拒むことはむしろ当然であり、そのこと自体を違法ということはできない。したがって、被告永以外の被告らに対する損害賠償請求についても、本件教務免職処分及び本件信者退会処分の効力の判断を避けることができない。
そうすると、これらの請求についても、結局、被告永に対する損害賠償請求と同様に、宗教上の教義ないし信仰の内容について一定の評価をすることを避けることができないことになるから、法律上の争訟性を欠き不適法と認められ、却下を免れない。
(裁判長裁判官金築誠志 裁判官本間健裕 裁判官伊東顕)
別紙謝罪広告の要領
当会が秋尾尊師創立の会であり、大尊師の常講欺読滅罪抄によることは当然であります。
当会は、貴殿がこれに違背して謗法にあたると発表してまいりましたが、この点について、私共が大変な事実誤認を犯していることに気付きました。
この誤解に対し深く仏祖諸天に懺悔滅罪を乞い、ならびに全信者に不信感を抱かせたことを全信者の前で謝罪します。
貴殿に対し、浄風会の信者及び教務の地位にあることを確認します。
浄風会会長 永二郎